日本男子ゴルフ界のレジェンド中嶋常幸さん。
PGAツアー日本人初優勝など多くの偉業を成し遂げた青木功プロ、元プロ野球選手で驚異の身体能力を持つ天才「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司プロと共に、国内外で熾烈な優勝争いを広げた「AON時代」を築いた一人です。
1985年から1992年までの『日本オープン』優勝者は「AON」の3人の名前しかありません。それほど「AON」は強かったのです。
そんな中嶋プロは日本ゴルフツアーで通算48勝という驚異の成績を残しており、この記録は尾崎将司プロ、青木功プロに次いで歴代3位となっています。
今回は「トミー」の愛称で親しまれる中嶋常幸プロの、経歴や全盛期の伝説の数々だけでなくプレイスタイルと強さの秘密などを解説していきましょう。
ゴルフ好きの方や「AON」世代の方だけでなく、「AON」を知らない世代の方にも必見の内容となっていますので、是非最後までお付き合いください。
中嶋常幸プロの経歴と全盛期の成績
中嶋常幸プロの経歴
中嶋常幸さんは1954年10月20日に群馬県に生まれました。
中嶋少年は小学4年生、10歳で父親である巌氏の英才教育によってゴルフ人生が始まったのですが、巌氏の指導はとても厳しいことで有名で、「どれだけいい成績を収めても褒められなかった」と、過去のインタビューで語っています。
そんな中嶋少年は「ゴルフで父親を負かしてやる」という一心でゴルフの腕を磨き上げ、1973年の『日本アマチュアゴルフ選手権』にて、18歳という若さで当時の最年少優勝を飾ります(現在は金谷拓実プロの17歳51日が最年少優勝記録)。
『日本アマ』で最年少優勝を飾った後、1975年に見事念願であったプロ入りを果たしました。
プロ入りを成し遂げた中嶋プロは、プロ入りの翌年1976年に有名ゴルフ雑誌が主催する『ゴルフダイジェストトーナメント』で早速優勝を果たし、その実力を日本中に知らしめた翌年の1977年に、22歳という若さながら『日本プロゴルフ選手権』を制覇しました。
その後も、『史上初の年間1億円プレイヤー』や『日本人初のメジャー4大会全てでトップ10入り』、18のタイトル、プロ通算60勝など数々の偉業を成し遂げ「AON」の一人としてゴルフ界では知らない人がいない存在となりました。
シニアプロ移行後も、5回の優勝を飾っており、2019年には日本プロゴルフにて殿堂入りを果たしています。
現在は解説者やYoutubeなどのメディアにてレッスンや自身のゴルフ理論を伝えるなどして活躍されています。
「AON」時代を築いた全盛期
当時の最年少優勝記録を樹立した1970年代も多くの結果を出していますが、中嶋プロの全盛期と言えばやはり4度の賞金王に輝いた1982年~1986年でしょう。
1982年、当時5年連続賞金王となっていた「AON」の一人である青木功プロを抑えて、自身初の賞金王に輝きました。
その当時、青木功プロと尾崎将司プロの「AO時代」であった日本ゴルフ界に新たな時代を感じさせ、後の「AON」時代への幕開けとったのがこの1982年です。
そこから勢いに乗った中嶋プロは、翌年1983年に『日本プロゴルフ選手権大会』にて、アメリカのプロゴルファーであるジョニー・ミラーとの9打差を劇的な逆転劇で破っての優勝など、自身年間最多勝の9勝をマークしました。
この9勝という記録は「AON」のジャンボ尾崎さんが1972年に残した記録と並び、現在も日本の年間最多勝の記録となっています。
1984年は中嶋プロがスランプに陥った年でもあり、周囲からもコンディションを心配する声が挙がっていました。
中嶋プロはスイングの改造などにも前向きに挑戦していたため「スイング改造は失敗だ」と呆れた声もあった中でも彼は諦めませんでした。
未勝利のまま迎えた『日本プロ』にて今季初優勝を勝ち取ったのです。
この優勝は中嶋プロが初心に帰り、優勝のために闘志を燃やして勝ち取ったもので「僕のゴルフ人生で最も価値ある1勝だった」と本人も過去のインタビューで語っています。
このインタビュー通り、中嶋プロは翌年快進撃を見せます。
1985年、昨年の日本ゴルフ優勝をきっかけに『日本オープンゴルフ選手権競技』初優勝や、『太平洋クラブマスターズ』、『ダンロップフェニックス』なメジャー大会て数多くの海外実力者を相手に優勝など6勝を飾って賞金王に輝いただけでなく、史上初の1億円プレイヤーという快挙を成し遂げました。
現在日本ゴルフ界は男女共に1億円プレイヤーが存在しますが、その先駆けとなったのが中嶋プロなのです。
1億円プレイヤーとなって迎えた1986年といえば『全米オープン』でしょう。
グレッグ・ノーマンとセベ・バレステロスなどと熾烈な優勝争いを見せました。
最終的に8位タイと優勝こそ逃しましたが、日本人初となる好成績を残して日本中のゴルフファンを熱くわかせました。
その年は昨年同様と6勝を飾って2年連続の賞金王に輝きました。
その後は賞金王が2回と世界ランキング最高4位(日本人として歴代2位)など素晴らしい成績を残しましたが、この5年間が中嶋常幸プロの全盛期と呼ぶに相応しい時期でしょう。
中嶋常幸プロの伝説
多くの栄えあるタイトルを獲得してきた中嶋プロですが、タイトルだけでなく今でもゴルファーの中で語り継がれる伝説や名勝負があります。
恐怖の伝説となった『トミーズバンカー』
中嶋プロは上記でもお伝えした通り、日本人初の1億円プレイヤーや年間最多勝記録など、青木プロ、尾崎プロと共に多くの伝説を残してきましたが、今もなおプゴルファーの中で恐怖の伝説となっている『トミーズバンカー』が有名です。
1986年のスコットランドのセントアンドリュースで行われた『全米オープン』の17番ホール、バーディーパットがカップオーバーで「ロード・バンカー」に入ってしまいました。
このホールは首位タイに並ぶための重要なホールとなっており、優勝争いに残るため、グリーンカップ付近を狙って勝負のバンカーショットとなりました。
しかし、1ショットでの脱出ならず、結果脱出に4打かかりこのホールを9打という大叩きとなっってしまいました。
「ゴルフがこんなに残酷だと思わなかった」と語った中嶋プロを苦しめたこのバンカーは『トミーズバンカー』と名付けられ、その後の試合でも数々のプロゴルファーを苦しめるバンカーとなりました。
ジャンボ尾崎との優勝争いを制し優勝を果たした1990年『日本オープン』の名勝負
「AON」ジャンボ尾崎と熾烈な優勝争いをした1990年小樽カントリー倶楽部で開催された『日本オープン』での、勝負を分けた最終日14番ホールのパーパットは伝説となっています。
初日を2位、2日目を首位で折り返した中嶋プロでしたが3日目でスコアを崩し、最終日12番ホールで当時最強と言われていた尾崎プロと7アンダーで並びました。
そして迎えた14番ホール、中嶋プロは勝負のプレッシャーからかティーショットが左の林にそれ、ツーオン不可能な位置につけてしまったのです。
なんとかパーパットに持ち込みましたが、2メートル以上残した難しい位置でボギーは避けられないような状況でした。
しかし、中嶋プロの放ったパーパットはカップ1直線吸い寄せられて見事なパー。会場は熱狂の渦に包まれました。
尾崎プロはその後3連続ボギーと崩し、最終的には中嶋プロ7アンダー、尾崎プロ5アンダーで中嶋プロが優勝に輝いたのです。
熾烈な優勝争いを制する1打となった14番ホールのパーパットは、ゴルフ界に残るワンプレーとなりました。
さらにこの『日本オープン』優勝は、中嶋プロが厳しい指導で一度も褒められたことのなかった父巌氏から、「初めて褒められた優勝」でもあったとインタビューで語っており、このインタビューも相まって、中嶋プロの伝説の1つとして今も語り継がれています。
中嶋常幸プロのスイングやプレイスタイルと強さの秘密
世界一美しいといわれたスイング
中嶋プロのスイングは当時「世界一美しいスイングだ」と言われていたそうです。
その美しいスイングは、スペイン出身の歴史的ゴルフプレイヤーであるセベ・バレステロスなども絶賛するほどだったそうです。
現代とは違い、昔のクラブは重いものが多かったなかで、ジュニア時代から築き上げたクラブの重さも利用し、高いトップの位置から始まって身体全体を使ったしなやかなスイングは今もなおゴルフの基本スイングの形となっており、プロアマ関係なく多くのゴルフプレイヤーが参考にされています。
特に、アイアンのスイングは世界から高い評価を得ています。
選択した番手で必要以上の距離を求めず、アプローチを打っているかのようなゆったりとした柔らかいフォームと、美しいダウンスイングで放たれフェードボールで数々のタイトルを獲得してきました。
なぜ中嶋プロは強かったのか
当時「練習中に打ったボールの数を数えられるうちは練習とは言わない」と語っていたほど練習熱心な中嶋プロは、練習時に自動雨降らし機を使って雨の中でのプレーを想定した練習を行っていたり、技術に関しての日記を毎日つけたりしてゴルフの研究を怠りませんでした。
スイングだけでなく時代に合わせて進化していくクラブにも対応していくことを怠らず、クラブセッティングやフィッティングを試合ごとに調整し、美しいスイングのベースを元に、適応力の高い進化していくゴルファーでした。
時には練習ラウンド終了後の本番直前にドライバーを変えて本戦に臨んだとこもあったそうです。
ジュニア時代から築き上げた「世界一美しいスイング」と、ゴルフへの探求心と膨大な練習量、そして「AON」や世界の競合ゴルファーとの数々との争いの中で得た技術や経験が彼の強さの秘密でしょう。
中嶋プロの今後の活躍にも期待しましょう
中嶋プロは2010年のヒザのケガ以降、2013年のスターツシニアゴルフトーナメントの優勝以降、目立った成績はありませんが、現在もシニアプロとして現役でプレーをする日本ゴルフ界のレジェンドとして活躍されています。
プレイヤーとしてだけでなく、テレビ解説者としても活躍され、近年はYoutubeなどでレッスン動画を出されています。
今回の記事を読んで、中嶋プロを知った人やプレーに興味を持った方は、Youtube上のレッスン動画やゴルフ理論の解説を是非とも見てみてください。
きっとあなたのプレーにもプラスになること間違いありません。
今もなお日本ゴルフ界を様々な形で牽引している中嶋プロの今後の活躍に期待したいですね。